令和6年能登半島地震の被災地の一日も早い、復旧・復興をお祈りいたします。

 2月22日~3月7日の2週間、進藤隼人看護師が金沢市の病院に支援に行きました。

 【支援活動報告】
 発災が1月1日ということで、能登方面へ帰省していた職員もおり、そのため被災された職員及びその家族の方々も多数いたそうです。様々な環境の中で働いている職員の方々の少しでも支援ができればという思いになりました。 支援に向かった病院は、発災直後から被災者の受け入れをしていたため、次第に病床数が足りなくなったそうです。そのため、県の要請により急遽、病床数を増やし、対応に追われた様子を聞きました。病院近くに1.5次避難所が開設され、発熱や感染症などの症状があればすぐに受診できる体制づくりをしたそうです。その1.5次避難所にはまだ100名近くの被災者の方がおられ、生活をされていました。
 支援病院は満床に近い入院患者数の状態が続いています。この状況の背景には、退院できる健康状態であっても帰る家が被災していることで、退院できない方もおられます。先程の1.5次避難所で生活されている方もほとんどが高齢者の方です。すべての方々が今後の生活先に難渋されているようです。
 この現実を知ることで、被災地での活動だけではなく、今回の病院支援することの必要性を実感しました。

 金沢のローカルニュースではまず震災の関連ニュースから始まり、NHKでは画面端に震災情報が流れている状況です。  地元の北國新聞では生活情報として給水、支援物資、医療機関、罹災証明書、災害ゴミなどの情報や道路状況、避難所の数、死者数などを地方情報の一面に掲載されています。大阪にいるとこのような状況を知ることはなく、何に困っているかも想像できずに普段通りの生活をしていたと思います。 初日に見学した1.5次避難所では能登方面から来られた方が生まれ育った能登へ戻れず、知らない地へ移動していくことが果たして本当に幸せなことなのかを考えると仰っていたことがとても印象的でした。ニュースや報道されていないことが知れたように感じます。災害派遣は現地での活動だけでなく、後方支援も大切であることを学びました。仕事の合間に色々な話をすることで患者さんだけでなく病棟スタッフの気持ちも吐露できていたらと支援を終了した今、感じています。

 進藤隼人看護師は大阪中津看護専門学校の卒業生で51期生です。
東日本大震災、熊本地震の際にも支援に駆けつけています。

 

支援終了報告