ABOUT当院について

院長挨拶

ご自分らしくご自分の
場所で
生活できるために

ご自分らしくご自分の場所で生活できるために

済生会大阪北リハビリテーション病院は、大阪府済生会中津医療福祉センターにおける病床機能 分化のため、済生会中津病院の回復期病床機能を移設する形で2023年4月に開院した96床の新しい病院です。脳卒中や骨折を患い、急性期病院で治療を受けられた患者さんが、その後にリハビリテーションを行う専門病院です。患者さんが、失われたさまざまな機能を回復し、ご自分らしくご自分の場所で生活できるために、新しい機能を作り上げていくお手伝いをさせていただくことが私たちの使命です。

ご自分らしくご自分の場所で生活できるために

いつでも、どこでも
リハビリテーションが
できる施設を
目指して

本院はまだ生まれたばかりの病院ですが、多くの病院職員は開設準備が始まった3年前から、いつでも、どこでもリハビリテーションができる施設を目指して、建物の設計や電子カルテの導入、そして 診療プロセスを共に考えてきた済生会中津病院のスタッフです。引き続き同じメンバーでさらに洗練されたチーム医療を推進し、患者さんのスムーズな社会復帰や在宅復帰に寄与します。現状では、機能を失われた患者さんが、十分なリハビリテーションを行うための回復期病床が充足されていない状況です。私たちは地域の急性期病院や介護部門の皆様と協力し、回復期から生活期まで包括的な質の高いリハビリテーションを実施し、人を尊重した、心のこもった医療を提供します。 職員一同、新しい病院が地域の皆様に貢献できるように、精一杯努力をいたします。 今後の済生会大阪北リハビリテーション病院を、何卒よろしくお願い申し上げます。

院長 植田真三久

いつでも、どこでもリハビリテーションができる施設を目指して

院長 
植田真三久

済生会について

済生会の成り立ち

明治44年(1911年)2月11日、明治天皇は、時の総理大臣 桂太郎を召されて「恵まれない人々のために施薬救療(無償で治療すること)し、済生(生命を救済すること)の道を弘めるように」との済生勅語に沿えてお手元金150万円を下賜されました。桂総理はこの御下賜金を基金として全国の官民から寄付金を募って同年5月30日に済生会を創立しました。 以来今日まで、政治・経済・社会情勢の変化に伴い、存廃の窮地を乗り越えるなど幾多の変遷を経ながらも、済生会は創立の精神を引き継いで保健・医療・福祉の充実・発展に必要な諸事業に取り組んできました。 戦後、昭和26年(1951年)に公的医療機関の指定、同27年(1952年)に社会福祉法人の認可を受け、現在社会福祉法人恩賜財団済生会となりました。

済生会紋章の由来

-生活に困窮し、社会の片隅で病んで伏している人はいないだろうか、いつも気にかかってしかたない- 初代総裁・伏見宮 貞愛ふしみのみや さだなる親王殿下が創立当時、上記のような「撫子なでしこ の歌」を済生会の事業に寄せられたのをちなみ、いつの世にもその主旨を忘れないようにと、撫子の花に露をあしらったものが大正元年より済生会の紋章となっています。

済生会紋章の由来

現在の済生会

済生会は、全国40都道府県で99の病院・診療所と、280の福祉施設等を運営し、64,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。次の三つの目標を掲げ、医療・保健・福祉活動を展開しています。

  • 生活困窮者を済(すく)う
  • 医療で地域の生(いのち)を守る
  • 医療と福祉、会を挙げて切れ目のないサービスを提供
現在の済生会

活動の方針

済生会は、今後10年に行うべき事業の指針を定めた「基本問題委員会報告」、いわゆるマスタープランを、創立70周年から10年ごとに策定しています。平成23年(2011)5月30日の創立100周年を迎えるにあたり、22年12月に「第四次基本問題委員会報告」をまとめました。その報告に基づき、「中期事業計画」を策定しました。25年度を初年度とする5年間に、本会が進むべき方向性とその戦略的な目標及び実施すべき事業の計画です。100年を超す本会の歴史の中で、法人全体で中期事業計画を定めたのは初めてです。さらに、平成30年度からは第2期中期事業計画がスタートしました。

済生会本部WEBサイト

済生会についてさらに詳しくご覧になりたい方は、済生会本部Webサイトをご覧ください。